鎌倉幕府の滅亡
鎌倉時代 / 7枚
鎌倉幕府がほろんだ原因は、元寇のあとに御家人の不満が高まったことにあります。原因と結果をつなげて覚えてください。
滅亡までの流れ
- 元寇(文永の役・弘安の役)北条時宗が防ぐ
- 御家人が新しい領地をもらえない戦費だけを負担して不満がたまる
- 徳政令が混乱を招く幕府への信頼が失われる
- 1333年 幕府がほろぶ足利尊氏・新田義貞が中心
1274年が文永の役、1281年が弘安の役、そのときの執権が北条時宗です。
防衛の戦いだったので、勝っても土地が増えません。御恩と奉公は土地を仲立ちにした関係なので、与える土地がなくなれば、そのしくみ自体がゆらぎます。
1333年、足利尊氏と新田義貞が中心となって鎌倉幕府をたおしました。制度のしくみそのものが立ちゆかなくなった、というのがこの滅亡の本質です。
カードの一覧
| 問題 | 答え |
|---|---|
| 13世紀に2度にわたり日本へ攻めてきたできごとは? | 元寇 |
| 1274年の元の襲来を何という? | 文永の役 |
| 1281年の元の襲来を何という? | 弘安の役 |
| 元寇のときの執権は? | 北条時宗 |
| 元寇のあと、御家人が不満を持った理由は? | 戦っても新しい領地がもらえなかったから |
| 御家人を救うために出されたが、かえって混乱を招いた法は? | 徳政令 |
| 1333年に鎌倉幕府を倒した中心人物は? | 足利尊氏・新田義貞 |